最後

 Sさんと俺には似ているところがあって肉親からの過干渉により定型発達を遂げられず(としか説明できない)平均の振れ幅に収まる者が持ち合わせて当たり前の、組織に属するという能力がない。悪く言えば協調性や社会性がない。家族というものも組織/社会であり、そこでハイハイマアマアで済ませるその技術を身につけられずわれわれは成体になってしまった。

  Sさんは俺と付き合うようになって間もなく病気になった。職場でも症状が出るようになった。休暇を取ったが去年の末に退職した。それが俺のせいとは言わない。だが俺自身親きょうだいとの暮らしがただ苦痛の連続でしかなく、病気になり大学に行かずアルコールに依存し家業を続けられなくなった。俺は自分が家族からされた仕打ちと同じことをSさんにしていたのだ。それを俺は「いちゃいちゃ」「のろけ」と思っていた。愚かだ。

 Sさんが健康を失い働くことができなくなったのと、俺がかつてそうなったのは同じことだ。俺はSさんに、やってはいけないことをした。彼女は、というか人間、あるいは動植物や無生物にいたるまで本来は自由でありまったく安定しないのだ。それを律しようとするのが力だ。力は怖いので人間は社会を作った。俺は「恋人」の肩書きを与える代わりにSさんから自由と健康と仕事を奪った。

 かつて親きょうだいから受けた陵辱を俺はSさんに与えていた。それを愛や好意だと誤解していた。情けない、穴があったら入りたい。報いとして俺はこれからずっと地獄の苦しみを味わい続ける。

 今のまま交際を続けていたらSさんはいずれ死んでしまう。俺が肉親から逃れられず自殺を試みたように。俺がSさんにできることはただひとつ、Sさんの人生から出て行くことだ。俺も自分の親きょうだいを人生から退場させた。冗談やたとえ話でなく死ぬからだ。こんどSさんに会ったらこのことを伝えよう。

 本当にSさんと俺はきょうだいのように似ている。Sさんが病気になってから俺も体調が悪い日が続いている。Sさんが死んだら、冗談やたとえ話でなく俺も死ぬ。Sさんは生き別れた俺の双子なのかもしれない。そして「家族」は、はじめひとつだった人たちが離れ離れになっていくことにほかならない。

 ストロベリーフィールドよ永遠に。

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 Sさんについて、仕事帰りに持っていたノートに詩を書いたことがある。唯一無二でありこの世に「詩」はあれしかない。