精神障がい者(2級)の俺の生活と障がい者を抱えながら運営する日本社会

 つらいのがデフォルトなので外部に憂さ晴らしの装置を置く。本当は生産、育児や芸術で昇華させないといけないのだけど自分にはその能力や才能がない。つらみは具体的な形で日常生活、勤務中にはみ出る。タッパーに入れるべきものがパッキンから漏れる。自分の場合は独り言や独り笑いで顕れる。第三者から見たら相当不快だと思う。最近は自分のカバンにヘルプマーク(障がい者がもらう赤地に白十字の札)をつけることに抵抗がなくなった。最初から障がい者だとわかってもらえばこちらが奇矯な行動をしても助けてもらえる。甘えた考えだと思うが、これ以上自分にできることはない。現在の日本国は俺のような人間を、国費を投じて健康で文化的な生活を営めると設定した。この設定はいつ覆るかわからない。日本は国民に主権がある、とされている。国民というのは、ざっくりいうと自分のことだろう。自分というのは俺のことで、俺は日本の権力者ということになる。俺の中には少なからず「社会に利益しない者を間引かねばならない」という感覚、使命感、正義感がある。この感覚は俺以外の人にもあると思う。それもけっこう多くの人に。この正義が成り立たないからこそ俺は生き延びられている。それがいいことなのが悪いことなのかはわからない。とにかく俺は生き残っている。これがいいことなのが悪いことなのか、やはりわからない。わかる人もいるようです。

 俺は日本国家および日本国民の温情に感謝しない。奴らは俺に貧しさと絶望を与え、強いているからだ。

 とはいえ年に77万ちょっと支給され、自立支援で安価または無償で医者に診察される身分であることは事実だ。自立支援の制度がなかったらと思うとぞっとする。自分をぞっとさせる仕組みに感謝なんかするわけがない。

 

 年に77万。俺の時給930円。

 

 足りるわけねえだろ! 逆の立場で考えてー(スリムクラブ内間)